ベーシックインカム㊶_結論の一つ、赤字の正体_2022/04/08

ご無沙汰しております。しばらく間があいてしまいました。

その間も読んで下さる方がいて、ありがたかったです。

ベーシックインカムのフィールドには当面戻ってこれそうもないのですが、前回の話から、期間をおいたことで、熟成された見地も見えてきたので久しぶりに書かせてもらいました。よろしくお願いします。

 

 

(前回のブログの核心)

前回のブログで、5.技術的な話、の抜粋として、私のオリジナル理論として

・日本は国の借金が多いと問題になっているが、事実は多少異なる

・国の借金が多いのはどの国も同じだが、日本だけ違うのは、GDPが異常に伸びなかった結果、GDP比の国債残高が他国に比べて突出してしまったのである

・その要因を分析したところ、他国に比べて民間マネーの貨幣供給量が異常に伸びなかったことがわかった

バブル崩壊後、銀行を筆頭に国民のマインドが委縮してしまい、ただでさえ石橋を叩いて渡る慎重な国民性なのに、より一層リスク回避的になり、物事が進まなくなってしまった

以上が分析の結果浮かび上がってきた真実である。

 

 

(その処方箋、および赤字の正体)

・だからどんどん民間銀行は融資するべき(=民間マネーの増加。民間通貨供給量の増加)。

しかし、そうすると当然のことだが、赤字の融資先もたくさん出てくる。

この赤字の正体は、マクロ的には何か?

実は悪いものではないのかもしれない・・・。

・この、赤字の正体は「消費(あるいは浪費)」である。

供給量伸張を手伝う存在なのである。

我々一個人が食費を支出したり、商品・サービスを消費するのと同じである。我々はそれを仕入れて、誰かに売って儲けるわけではなく、お金を使った分は丸々赤字であると言える。

そうすると赤字を国が買い取ってはどうか。それを「通貨発行の控え(MMT的なワード)」としてはどうか。

果敢に新規事業にチャレンジして、結果、事業として利益を出すことはできず、赤字を出してしまいました。「消費(浪費)」になってしまいました。ひいてはすいませんが、国がこの赤字を買い取ってもらえないでしょうか、と。

そうでもしないと、慎重に慎重を重ねすぎて何もできずに、沈んでいくだけの、我が国のこの窮状は脱せないのではないだろうか。

 

 

(消費、浪費に対する借金について)

事業に関係ない一個人の話。

例えば以下のような内容で、借金をするとしてそれは浪費と言われるだろうか。

自動車の任意保険

進学

雨漏りをリフォーム

必要性の高いお金であり、例えばこれらのために借金して、後に国が借金を肩代わりして「通貨発行の控え」としたとして、それはインフレを招くからダメだと言われるだろうか。

 

 

(そもそも商売として成り立つことはそんなに重要なのか)

閉店した名店の中には、愛されつつ閉店したものも多いだろう。それらはお客さんに何も提供しなかったとでも言うのか。むしろ逆でサービスしすぎで儲からず、赤字になり閉店したケースも多いのではないか。

現在の経済原理の世界で生きていて、経済的にどうにもならないケースは多々あると思う。例えばJR赤字路線の廃止など。

我々は感情的には「なくならないでほしい」と思っても、

現実的には、経済的には「どうしようもない」と諦めざるを得ない話は多い。

本当に経済原理が正しいのか。

趣味や道楽でやるお店があるように、

慈善団体の資金援助で行われるサービスがあるように、

実は経済原理が全てではないだろう。

親子の愛情、友達の友情、恋人・・・ファン、現在の「経済」が捕捉できている現象というものは実は一握りに過ぎないのではないか。

環境経済学が、環境問題を経済原理の中に組み込んだように、

このような「なくならないでほしい」という感情を経済原理の中に組み込むことも今後長い目で見ればありえるかもしれない。

仮にそれを「ロマン経済学」とでも呼ぼうか。

全てを経済の中に組み込むことを私は好まないが、理論上はそのようにすべてのファクターを経済の中に組み込んで説明することも可能なのではないか。

そうすると「感情的に思うこと」と「現実的、経済的に不可能」なことに対する矛盾も、実は「感情的に思うこと」が正しいケースもあって、そのための理論づけがなされてなかっただけだった、ということになる日も遠い将来には来るのではないか。

我々は、当たり前にある素晴らしいこと、正しいことを、無理やりに、不自然に、不適合化、不正解化するように、ない知恵をひねってこねくり回しているだけの大馬鹿者たちにすぎない、ということがいつの日かわかるのではないだろうか。

「なぜそう難しく考えるのだ。単純にこうしてと言っているだけなのに」

「簡単なことを難しく。難しいことを難しく」

不正確な「経済原理」をさも絶対的なもののように持出し、我々の生活を脅かすのはいい加減にやめてもらいたい。現在の「経済原理」が捕捉できているのは、リアルな現象の内の2、3割ぐらいじゃないか。

 

 

 

(バケツと水位の話)

私のバケツと水位の話を思い出してほしい。

通貨供給量(水)を増加させないで、生産技術力(バケツの広さ)だけ増加したら・・・。水位(物価)が下がる。

これが00年代の日本である。

何でもかんでも「お金がないからできません」となる。

衰退

 

デフレと言うのは、たぶん私たちが思っている以上に深刻なひずみを後々まで残す。

成長期にたがをはめてはだめ。

中国だったか、女性は足が小さい方が美しいという風習が昔あり、女性は足にたがをはめて足が大きくならないようにしたらしい。

私も高校一年生から身長が全く伸びなかった。本来はもう少し伸びたのではないかと思うが、不安などがあり、いろいろな意味で私は自分の成長を止めてしまったのではないかと思っている。そのひずみは20年たった今でも大きくのしかかっている。

 

適切な貨幣供給量(水の量)を決定するのは、生産能力(バケツの広さ)が一番大きいのではないかと私は思う。

 

バケツ(供給能力)が広がる局面では水(通貨供給量)をどんどん入れてよい。

供給能力が追い付かなくなったら水位(物価)が上がる。

水(通貨供給量)を入れると、

↓              ↓

バケツ(供給能力)広がる   水位(物価)が上がる    の2つが起こるが、

                             その比率が大事。

 

 

 

(では放漫経営、赤字財政を制限するものは?)

資源枯渇、環境など物資の面

それではサービス業に向かったらどうか

24時間カラオケ、ゲーム、お酒、お菓子、パチンコ、風俗 → 体壊す

 

また、

供給増加による供給サイドの従業員の過労死

贅沢三昧で体壊す

など別のマイナスを生むかもしれない。

 

 

(むすびに)

いかがでしたでしょうか。久々のブログ更新。

民間マネー増加のために民間銀行はもっと融資しろ、

けど赤字先も多くなるよね、

そもそも赤字はマクロ的に悪いことじゃない、

だったらある程度は不良債権を国が肩代わりして「通貨発行だ」

としてくれたらいいのではないか、というお話でした。

赤字の正体を「消費」と突き止めました。

 

自分ではわかりませんが、

ダーウィン相対性理論のように

アインシュタインの進化論のように

画期的な理論になっていたらいいなあと思います。(;^ω^)

ガリレオの地動説のように。